BE COOL

僕はライカMで「写真」を撮りたくなった

そう僕はデータを見たいわけではなく写真を撮り、期待と不安を入り混じらせながら写真を見たかった。

ここ最近僕はめっきりライカに没入し、調べに調べ、欲しくなっている。

もちろん写りやレンズ、フルサイズ機とは思えない携帯性、ライカが守り続けるMシリーズの機構について魅力に感じる部分も多いのだが、よくよくなぜライカなのかを考えると自分でも意外な結論にたどり着いた。

そう「僕は写真を撮りたかった」

親父のフィルム一眼が僕のカメラデビュー

今から約15年前であろうか。僕はCanonのフィルム一眼レフでカメラデビューしている。

フジフィルムかコダックのフィルムを新しい箱から取り出すワクワク感を今でも覚えている。

そしてカメラの背を開けて、少しフィルムを出し、奥にそっと入れ、背を閉じる。この行為も僕にとって写真を撮る楽しみの一貫だった。

競走馬を撮り続けた中学生

僕はスナップや自然の景色には全く興味がなく、大きな馬体がダイナミックに動き、毛並みがキラキラしている競走馬に夢中だった。

もちろん親父の影響でもあるが、当時の僕はダビスタで血統とロマンを知り、テレビで競走馬の美しさを知った。数年で血統と馬体についてはマニアの域に入っていたと思う。

週末になると親父と中山競馬場か東京競馬場に行き、拠点を決め、1Rから12Rまでパドックと本場場を走り抜けていた。

もちろんフィルムだから、大切に1枚1枚シャッターを切り、現像を楽しみにしていた。今思えば、当時ライブプレビューなんてもちろんないわけで、確認のしようもないのに、いい写真が仕上がっていると思い込んで写真をとっていた。

あの次から次に被写体を探す楽しさ、今はあるだろうか。

当時好きだった馬はサイレントディール 騎手はオリビエ・ペリエ

シャッターを切った後、不安なんて一切なかった

そう、切ったら終わり。当時プレビューで確認なんてできないから、シャッターを切った後の写真なんてまったく気にしていなかった。

大きな期待とちょっとの不安が入り混じって、現像屋さんにフィルムを持ち込んでいた。

結果、落ち込むこともしばしばだったが、シャッターを切ったシーンの記憶が写真を見るたび思い出して、熱量や自分の興奮具合まで手にとるように蘇った。

いまではどうだろう。シャッターを押し、プレビューを見、気に入らなければ消す。シャッターを切った後、次の被写体を探すことよりもデータを気にしている。写真ではなくデータを。

当時の僕が持っていたフィルムカメラより高性能で、美しくて、喜びも多いはずなのに、その場で僕はデータを消している。もう一度撮っている。なんだろうこのカメラや被写体ではなくデータに縛られている感じ。

僕はこのフィルムカメラのあと、デジタルカメラを使い続ける。

デジタルカメラは買ったり売ったりの連続

高校生になるとデジタルカメラがよに出回り始めるというか、バイトして買えるようになってきた。

Nikonがなぜか好きで、とっかえひっかえしていた。

手にした瞬間、撮り始めて1週間くらいは熱量が保たれているのだが、なんかしっくりこなくなる。シャッター音なのか仕上がりなのかわからない。そもそもデータを写真にすることがなくなった。これなのか?今でも理由はあまりわからない。高校生からするとデータを写真にする費用はそこそこ重い。塵も積もればなんとやら。

卒業後の大学生~社会人3年目まではカメラすら持たなかった

たぶん悟ったんだと思う。写真にしないならスマホでいいじゃない。

カメラの小さいプレビュー画面でニヤニヤするより、これでいい。十分だ。

あんなに写真を撮っていたのに、この期間ほとんど触っていないと思う。興味すら失っていた。

もう買わないな~なんておもっていた。

FUJIFILM X-T2を買ってカメラの楽しみを再確認

なんでX-T2なのかというと、その時は直観でしかなかった。もちろん色々調べたけど、これだ!って。

買って正解だった。もちろんデジタルだからプレビューは確認するけど、設定やダイヤルをこねくり回すことによって、1枚のデータを作る喜びを知った。

写真を撮るというより、作品を作るような感じ。

こんな楽しみ方もあるんだなと思ったし、カラーフィルターを切り替えることにより、当時のフィルムライクな写真もとれて、なんだか少し昔の自分に戻った感じがした。

でも2~3年使い続けると、やっぱりなんだか違和感がでてくる。

違和感の正体はやはり・・・

やっぱりこれなのかもしれない。

X-T2はめっちゃいい機材。簡単にいい写真がたくさん撮れる。動画も撮れる。ミラーレスだからそんなに大きくもないし重くもない。それなのに今はめっちゃ安い。いいことづくめだ。

でもでも・・・1枚にかける思いが軽くなっている。仕上がる期待と不安がなくなっている。

スッと指をそえて、ちゃっと撮って、ぱっと確認して、サクッと削除

いいのかもしれない。いや、いいんだ。けど・・・

カメラに求めていることは画素でも機能でもなかった

冒頭でも書いた通り「僕は写真を撮りたかった」

現像までの期待も不安も全部含めて写真を撮りたかった。

プロではない。別に仕上がりが僕の人生も誰かの人生も揺るがすものではない。どこにプロが必要とする機能や画素数が必要だろうか。持ち出す楽しみ。撮る楽しみ。写真にする楽しみ。少しの手間と少しの不安。

これが一番欲しかったんだと。

ライカMは写真を撮るのに最高の機材ではないか?

調べているうちにそんな気がしてきた。まだ持ったこともない。実物は近所のおじさんが首にかけているものしか見たことがない。

でも調べれば調べるほど、ライカMであれば写真に向き合える時間、写真を撮る楽しみを得られる気がした。

マニュアルフォーカスのみという手動感

いまどきこんな機材があるだろうか?100万もするカメラにオートフォーカスがついていないなんて笑

まるでファックス回線しか使えない、1枚写真をとったら容量いっぱいのiPhoneではないか笑

でも1枚を狙いを定めてしっかり撮れる。被写体のどこにピントが来るといいのか。デジタルの四角い的のどこかではない。半押ししてもピントは合わない。撮ったとしてもまともな確認はできない笑

つまり動体をとるのには非常に苦労する!置きピンするか、よっぽどの手練れになるしかない笑

いいではないか!

レンジファインダーというただの覗き窓

撮れる画角がそのまま映し出されるけではない。うっすらと枠が表示されるだけ。

ピントも二重像を合わせるだけ。

画角もブライトフレーム頼り笑

いいね!男だね!

単焦点一本勝負

ライカMにズームレンズなんてない。単焦点レンズ一本勝負!歩いて探して近寄って離れて。

もしくはレンズを決めて、撮るものも決めて出かける。

フルサイズ機なのにレンズは小さいからいくつか持ち歩けるけど、それはライカMをわざわざ持つ意味を失わないか?

男は黙って一本勝負。

センサーはライカの癖が強い

色んな作例を見てきたけど、Mシリーズ(デジタル)のそれぞれに色や表現にクセがある。

よく言われる芯がある写真の正体はライカの癖。

RAWでとってもそのクセは芯としてのこるから、いろいろ操って自分の世界観を表現しきりたい人にはどうなのかな?

僕はその世界観に惚れてるからいいんだけど。

ライカMのデメリットは僕のメリットになる

そう!簡単に綺麗な写真をとりたい人にはこのカメラはデメリットでしかないでしょう。

でも手をかけて写真をとり、その世界観が好きであればおおきなメリットになる!そう簡単に写真を撮ることに違和感を覚え始めた僕にとっては、この面倒臭さがいいんだな!

MFもブライトフレームも単焦点も使えないプレビューも全部メリット

このデメリットはすべてフルサイズセンサーなのに持ち歩ける本体・レンズサイズを実現するメリットへと変わっている気がする。

そして最新機種いがいプレビューが使い物にならないのも「プレビューなんて見てどうなる?もう一枚すぐに撮れ!写真にしてすべてわかる!上手いも下手も!」と言われているようだ。

うん。写真を撮るということに全神経を注げそうなんだ。

フィルムかデジタルか

いずれにせよ高いライカを買わけだが、最悪メンテナンスできる機械式のフィルムライカか、壊れてしまったらそれが最後のデジタルか迷う・・・

フィルムであればM6

デジタルであればM9(もしくはM240)

フィルムの感じは凄く好きだけど、ランニングが高くつく

デジタルでも現像(写真に)したら初めからフィルムでいいのか?

わからない。どちらにも良さがあると思うがわからない。

とりあえずまだ悩むことにしよう・・・

FUJIFILM X-PRO3でもいいのでは?

背面液晶が隠れる使用にできるX-PRO3もでた・・・

どうしたらいいのか・・・